独自スキルの言語化〈後〉
-なぜ、■■さんはそのような思考力が身についたのか?
この問いを私から投げかけられ、■■さんは熟考に入りました。
私は更に重ねました、
-それって、かなり高いレベルの仮説力ですよ!
-お気づきになっていらっしゃいましたか?
「…そう言えば、なぜなのだろう…」
「いつ、身についたのだろう…」
■■さんに限らず、ヒトは誰しもが、オリジナルの力を身につけています。
しかもそれは、ある意味で厄介なことに、無意識のうちに身につけてきたものです。
過去の経験を重ねる中で。
この■■さんの場合、その仮説力の基となる下地は洞察力でした。
更にその洞察力の下地は、観察力でした。
さてさてこの■■さん、これらの観察力を身につけた大きな経験ベースは、中学・高校と勤しんできた野球経験にあったようです。
しかも■■さんのポジションは、キャッチャー。
キャッチャーって、守備に就いたとき1人だけ他の8名と反対の方向を向いていますよね。
かの野村監督も曰く、「第2の監督」とまで例えられることのあるポジションです。
それなりに野球嗜好の強い私としても、この野球という競技におけるポジションや戦術論は、ここで深掘って語り倒したいところです。
ですが、いまの本題は別。
要するにこの■■さん、多感な時期にキャッチャーというポジションで日々考え続け、
いかにこのバッターを打ち取るか、
いかにこのピンチを切り抜けるか、
球数がかさみ疲労がピークを迎えつつあるピッチャーにいかにこの回投げ切らせるか、
次の回の攻撃を良いムードで迎えることができるよういかにこの守備をビシッとしめるか、
いかに…
とにかく周りを観続け、考え続ける日々を送ってきたのですね。
その結果が、周囲よりも抜きんでた洞察力や仮説力を身につけるに至ったわけです。
大事なのは、ここ。
当の本人としては、この特異なスキルを身につけるに至った経験やプロセス(ある意味で『訓練』です)を、棚卸して一般論での言語化が出来ていなかったのですね。
日本人特有の「照れ」のようなものもあるでしょう。
或いは単純に、他の人たちに改めて話す必要がなかっただけかも知れません。
自分自身の事だけを考えれば、それはそれで別に構わないことかも知れません。
しかしながら、■■さんは、ダメなのです。
「棚卸して言語化」出来なければ。
なぜならば、この方はもはや後進を育成する立場になりつつあったのですね。
人材育成が次の課題として待ち受けているフェーズに差し掛かっていたのです。
他人、ましてや自身よりも経験の浅い後進にわかりやすく伝える立場にある人間は、
経験という無意識に過ぎていった過去も意識的に振返り、
棚卸し、
平易な一般論で言語化し、
後進がマネしやすい(マネびやすい…学びやすい)ように伝える必要があるのです。
先述の場面においても、この視点と共に私が改めて解説した際、大きく腹落ちして下さった様子でした。
嬉しい。
また一人、次の人材を育成するスキルを高めた中間管理職が誕生してくれた瞬間です。