障がい者が与えてくれる 気づき
平昌で開催中のパラリンピック、佳境を迎えていますね。
日本勢はもちろん、世界中の肢体不自由な方々のご活躍には、驚かされる事の連続です。
肢体不自由といえば、本日は私、視覚障がいのある子供たちから感動をもらった日でもありました。
実はこの1年間、様々なPTA活動に関わる機会を頂いていたのですが、本日は札幌にある視覚支援学校の卒業式だったのです。
幼稚部から小学部、中学部までの子どもたちが主人公の卒業式。
式次第としては、多くの方々がご経験のある卒業式と全く変わりません。
・国歌・校歌斉唱
・卒業証書授与
・学校長式辞
・来賓祝辞・祝文披露
・在校生送辞・卒業生答辞
・卒業生退場
コンテンツは変わらないのですが、
コンテンツが変わらないからこそ、
沢山のことを気づかせてくれるのです。
卒業証書を校長先生からもらいに行くシーンも、当然おなじみです。
自分の名前を呼ばれたら、校長先生の待つ壇上にかけられた階段まで歩み寄る。
4,5段ほどの階段を一歩ずつ上がり、壇上に辿り着くとまず一礼。
半歩前に進み、校長先生が読み上げるのをじっと待って、証書を厳かに受け取る。
前を向いたまま半歩下がり、校長先生に一礼。
証書を脇に抱えて壇上を横に歩を進め、上がった時と異なる場所にかけられた階段に向かう。
やはり4,5段ほどの階段をこんどは一歩ずつ下がり、自分の席にぐるっと戻ってくる。
こんな一連の行動・作法を実際に今日私の目の前で行ったのは、目の不自由な子どもたちなのです。
中には視覚だけではなく、肢体不自由や知能の発育スピードに遅れの伴う重複障がいの子どももいました。
階段まで歩み寄るのに、並々ならぬ時間を要する子どももいます。
証書を受け取って階段を降りる際、最初の段を思わず踏み外しかけ、「あっ」と思ったその瞬間、備えつけられた手すりに難を逃れる子どももいます。
先生に付き添われ、もしかしたら自分のいま行っている行為が何を意味するのか理解が追い付いていないのかもしれない様子の子どももいます。
幼稚部の子どもたちは、(当然ですが)そもそも6歳以下の、未就学児たちです。
そんな子供たちが、
健常者にとってみれば、ともすれば障害物競走にも相当するかもしれない一連の作法・行動を、凛とした態度でこなし、
校歌を歌うときや送辞・答辞をのべるときは、顔を大きく見上げ、迷いなく声高らかに発声する。
私たちは日常、様々なことに遠慮・躊躇をし、時には「すぎて」も何も得るものがないかも知れぬのに、考えすぎて行動に移すのをためらったりしてしまうことがある。
何をもったいない時間の使い方や「忖度」をしているのか(苦笑)。
小さな手で転びかけた自分の身体を救い、
声変わりもまだまだ先ゆえ、甲高い声をもって大きな声で歌を歌う。
歌詞を目で確認することの難しい彼らは、耳で暗記して。
「オチ」のないまま徒然なる話題ですが、
勇気と感動を与えてくれたと同時に、
様々なことを深く広く感じさせてくれた、ひと時でした。