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いいことちょっとプラス最強の女性目線の家づくりを行う
イネスホーム 代表・塚本様

イネスホーム 代表取締役 塚本誠様

札幌市近郊

女性目線の家づくり

布広 「ちょっとプラス」の意味合い、意図のお話をお聞きしたいのですが・・・

塚本様(以下・塚本) 私達は、お金をかければいい家ができるのは当たり前のことだと考えています。お金を出してもらっていい家を建てるのでは知恵がない。お金をかけなくても「ちょっと」だけおしゃれで「ちょっと」だけ使い勝手が良い家。お客様がこだわる「ちょっと」のこだわりを大切にし、私達の中にあるあと「ちょっと」のアイデアを「プラス」していきたい・・・そういう「ちょっと」をプラス、積み重ねていくことを目指しているのがイネスホームです。ハウスメーカーさんでの家づくりは基本プランがあってオプションオプションオプションで積み上げていく方式が通常なのですが、イネスホームは、総額を最初に決めて、その中でより快適でよりよい家をつくろうという逆算の発想で家づくりを行っています。総予算の中からより快適でよりおしゃれな家づくりを行うなら、お客様も打ち合わせの中で予算が上がってしまうかもしれない、という心配をすることもありませんしね。しかし、弊社としては決まった予算の中で全てを考えなければならない。そうするといい家を作るためにお金を使うということはできません。予算内でいい家を作るためには良いアイデアが必要となってきます。ニッチを一つの例としてお話しますと、壁をくり抜いて家族の記念写真を飾るスペースをプラスしてみたり、キッチンの袖壁の腰壁があるところをくり抜いて料理のレシピ本を置くためのマガジンラックを作ってみたり・・

布広 なるほど、そういう「ちょっと」が大事なんですね。

塚本 そうなんです。そういう「ちょっと」を施すだけでその家の色がかわるんです。私達はこのように、ちょっとひと手間、一工夫を大切にしています。

布広 イネスホームさんは、モデルハウスがたくさんありますよね。ベースのデザインに「ちょっとプラス」を加えた形になるのでしょうか?お名前はどのようにつけているのですか?

塚本 実は最初は識別しやすいような名前をつけていたのですが、今では物件1つ1つにコンセプトを掲げ、そのコンセプトにあった名前をつけています。

布広 モデルハウスのお名前は、商品名ではなく、モデルハウス自体のコンセプトを意味しているのですね。そうするとモデルハウスにも「ちょっと」愛着が湧きそうですね。

塚本 モデルハウスの名前にももちろん愛情を込めていますが、家自体にも作り手の想いや愛情ががこもっています。イネスホームのモデルハウスには、各モデルハウスに1人ずつ、女性担当がついています。1人というのがポイントで、人が多く関わってしまうと、「こうしたい」という想いをお互いに譲り合ったり妥協し合ったりして、想いが分散し弱くなってしまうんですよね。そういった理由があって1人で最初から最後まで担当してもらっています。

布広 なるほど。そうすると、最初から最後まで、プロデューサーというか・・こういう家にするという監修・監督は1人の女性が行っていると。

塚本 そうです。女性担当者が最初のコンセプト決めや設計の段階から、竣工、そして現場の管理までを一貫して行っています。

布広 それで多くの個性的なモデルハウスが生まれたのですね。

塚本 女性担当者がやりやすいようにサポートすることが大事です。女性は責任感がありますし、任せる事で100%以上の力を発揮してくれます。もちろん生みの苦労はかなりあるかと思いますが、出来たときの喜びはひとしおで、自分で全てをやりきったからこそ、心からその家に愛着をもってくれます。

布広 これまでいろいろな建築会社さんと出会い、今、こうして建築会社さんの紹介サービスを行っている身としては、この会社さんはこういう良い所があるからこういうお客様に合うなとか、この会社さんはこういうポジションの会社さんだな、とか、そういうマーケティング的な感じで各会社様のことを考えたりしているのですがイネスホームさんの場合、女性目線の家づくりが強みで、そこに対して一切の無駄がないなと思っています。どのモデルハウスを見ても、女性が「かわいいな」と思える家だなと思います。ホームページでいろいろなモデルハウスをまず、目で見て、実際にモデルハウスに行くと五感で感じることができて・・かわいらしさ、生活しやすさ、ちょっとした気遣いというイネスホームさんらしい共通点を感じながらも各モデルハウスの個性をも感じることができる。これはすごいことだなと思うのですが、ズバリ、狙ってやったのでしょうか?笑 それとも試行錯誤の上で生まれたものなのでしょうか?女性がプロデュースする家づくりというものは。

塚本 裏も表も言ってしまいますと、前社長の時代に男性社員が結構やめてしまったことがあったんですね。その際に残ってくれたのが女性社員。その女性社員たちが非常によく頑張ってくれたんです。そこで私が感じたのは、やはり家づくりは女性中心のほうがいいよな、ということ。家族の中では奥さまが一番家にいる時間が長いですし、家の中のことを一番知っている女性が家を作るほうが絶対良い家ができるだろうと、彼女らの働きをみてよくわかりました。実際は女性しかいなくなってしまったので女性に任すしかなかったんですけど、それが結果的に私に新たな発見を、弊社に良い結果をもたらしてくれたのです。

布広 偶然かもしれないけれど、必然だった、と。

塚本 はい。やはり、女性が中心になって家づくりを行うほうがよいと確信を持つことができました。そういえば私がまだイケメンだった30代の頃・・・

布広 今もですよ!笑

塚本 あはは。ありがとうございます。笑 それはさておき、私がまだ若かった頃は私が先頭をきって営業をしていたのですが、私と奥さまとの二人で打ち合わせをしていると、旦那さんがヤキモチをやいてしまったりして、いろいろなところでうまくいかない部分が出てくることが多くありました。私はその場で図面をサササッと書くのを得意としていたので打ち合わせ自体はスムーズにできていたのですが、旦那さんとの関係性でギクシャクと・・そのあたりから女性社員の力を借りるようになり、やがて女性社員に任せるようにし、私はもう図面はかかないことに決めました。実際に女性社員に全て任せてみると、すごい力を発揮してくれましてね。棚の収まり、タイル、コンセントの位置など、どんな器具をつけるかだけじゃなく、どうしたら使い勝手がいい、この高さの方が便利だ、などという、女性ならではの生活に密着した提案ができるんです。他の会社では男性社員がやっているようなこともうちの女性社員は全部自分で出来てしまうのです。私達が女性中心の家づくりを行うようになった16年ほど前には、まだあまり「女性目線の家づくり」といって謳っている会社はなかったのですが、他社にはない本当の「女性目線の家づくり」を先駆けて行っていたのが、私達イネスホームなのです。

布広 そうお聞きしますと生活動線は女性にお任せしちゃった方が良いと改めて感じますね。

塚本 「電子レンジ、トースター、コーヒーメーカー、ココにおくからこうしましょう。」男性にはこのような細かい生活に密着した提案、生活のことは、思いつかないですよね。女性はスゴイですよね。

布広 設計からコーディネートまで一貫して女性がやっているからこそズレがないのですね。素晴らしい強みだと思います。15.6年前は制度的にも世間的にも女性の育成ってご苦労されたのでは?

塚本 当時は育成をした、というよりも、残ってくれた女性社員2人が頑張って踏ん張ってくれていた、という感じですね。現在も当時の女性社員が1人残ってくれていて、今は、若手社員の育成を頑張ってくれています。

布広 女性社員だけの研修をされているとお聞きしました。今は働き方改革だ、産後の女性が戻りやすい環境を、という時代ですが、イネスホームさんは率先してやられているのですね。なるほど、そういう「ちょっと」が大事なんですね。

塚本 そうですね。世の中の流れについていきたいですし、むしろ「ちょっと」リードしていたいです。

布広 ここでも「ちょっと」がでてくるのですね。笑

塚本 はい。笑 テレワークや、育児休業、介護休業制度を使ってもらいたいと思っています。制度があるだけでなく、本当に女性が働きやすい環境にしたいと考えています。

布広 何年前から取り組まれているのですか?

塚本 法律ができたときから制度はありますね。

布広 責任感持って仕事をしている女性ほど制度を使いにくかったりしますもんね。やっぱり無理してでも使ってもらわないと普及していかないですよね。

塚本 建築業界はまだまだ古い男性社会ですからね。弊社が率先して変わっていきたいと考えています。

イネスホームの過去を振り返る

塚本 私が子どもの時、家には青森から来た大工が住み込みで働いていました。父はGOING MY WAY、THE 土建屋!という感じの人でしたから、そのような父を見てわたしはもっとスマートにいきたいという願望がありました。小さなころから建築と隣合わせで成長してきましたね。

布広 GOING MY WAY・・・やはり創業者の方はパワーがあるのですね~!

女性目線は狙ってやったのかとお聞きしましたが狙ったわけではなく実は偶然で、でも必然で。お父様を見て、そして自分はこう生きていきたいとお感じになられ、現場やプロセスで感じられたことをアレンジ、転換していくというか、実業にフィットしていくように変えて行ったら今のイネスホーム様の形になったということですね。・・・塚本社長はかなりセンスのあるお方なのですね!

塚本 いいところに気が付きましたね!笑 そう、私の代になってから会社は劇的にかわりました。いろいろなことを変えていきましたね。自分の感じた違和感ややりたくないなということは止めていきました。昔は公共工事や大型の工事もよくやっていましたが私としてはやはり、住宅の方を専門にやって行きたく考えていましたので社名も思い切り変えましたしね。お引き渡しの時に奥さんが涙ポロポロ流して「ありがとう」と言ってくださるあの感動的な瞬間に立ち会うと、本当に心からこの仕事しててよかったな~と思います。私にはこれしかないなと。この仕事は天職だなと思います。私今、すごい良いこと言ってますね!笑

布広 お客様と近い距離でいたいのですね。

塚本 そうです。それが私の生きがいなんです。父が社長の時代にはローコスト住宅をやっていて、年間60棟もの家を建てていました。子供ながらに父のその姿を間近で見ていて、毎日がとにかく慌ただしく見えました。自分が社長になったら、もっとじっくりお客様のペースで家づくりがしたい。しっかりしたいい家をつくって、お客様に心から喜んでもらえる家づくりがしたい。「あなたにつくってもらえてよかった。幸せだ。」と言ってもらえる家づくりがしたい。そういう経験や想いがあったからこそ、今お客様から「ありがとう」と涙を流して喜んでもらえると、この為に今まで頑張ってきたんだと、胸が熱くなるんです。

布広 前社長であるお父様と塚本社長は、考え方や感性が異なっていらっしゃるのですね。

塚本 父は造り手の論理を主張している人だったので、私にとっての父は反面教師なんです。これまで家を買うことが出来なかった人にまで家を提供したいという想いがあってローコスト住宅をやり始めた、というその気持ちはわからなくもないのですが。しかしそういうことがあって、男社会、男がつくる家、造り手の論理というものに矛盾・違和感を感じていたのもあります。

布広 塚本社長は感受性がお強いんでしょう。反面教師にしている部分もあるといっていましたが、人の振る舞いを感じ、行動されているような感じがしました。人の距離、温度、笑顔を大切にされていらっしゃる。それが塚本社長なのでしょうね。

塚本 今はね。私が社長になったばかりのころは社員に「冷血サイボーグ人間」だなんて言われていましたから・・・

布広 えぇ!?全く想像できないです。

辛い時期を乗り越えて

塚本 35歳で社長に就任した当初は周りから「社長の息子」「親の七光り」だなんていわれて、それが悔しくて突っ張っていました。その悔しさから1人で年間23棟以上家を売っていましたね。販売数を増やすことで「親の七光りなんかじゃないぞ」と社員に見せつけていました。しかし実際にはただ突っ張っていたわけではありません。私は前社長である父のやり方を好いていなかったから、とにかく父のやり方に慣れきっていた会社を立て直すために必死だったのです。その必死さ故に余裕がありませんでした。

布広 塚本社長が社長になられたきっかけというのは?

塚本 実はある時、父の経営方針によって会社の方向性がおかしな方に向いてきてしまっていることに気づいたのです。会社には多額の債務がありました。父と話し合いを重ね、父に社長を降りてもらったところから始まりました。結果、私は社長就任と共に震え上がるほどの額の債務を1人で背負うことになりました。自分の親のせいで抱えた債務のことで社員に頼るわけにはいかないでしょう。私は何も考えることなくなんとか沢山の仕事をこなし、切り抜けました。この、会社が大変な時期から頑張ってくれていたのが、女性社員なのです。

布広 これだけのことがあって、ギャップを感じるのが今の温かい和気あいあいとした社風。ご自身のスタイル転換を含めてここにもご苦労があったのですね。塚本社長の冷血サイボーグ人間だった姿は・・想像できないです。今の塚本社長を見ていると、180度変わった、ということでしょうか?

塚本 そうですね。当時は皆下を向いて仕事していましたから・・

布広 どのようにその空気を断ち切ったのですか?

塚本 「社長のやり方についていけない」と言って人がいなくなっちゃったんですよ。もう殆ど皆いなくなっちゃいました。残ってくれていたのがイネスホームの「女性目線の家づくり」の核となってくれた女性スタッフ2名、経理、現場スタッフ等全員で7,8名。

布広 建設業を営む最低限の人数に、なってしまったわけですね。

塚本 そうですね。最低限の所まで落ちたんです。

布広 裏を返すと要所要所の職種で人が残ってくれていた。

塚本 そうです。そのメンバーで1からのスタートを切ることになりました。

布広 どう再構築していったのですか?

塚本 当時の私は債務返済のことでノイローゼ気味になっていました。毎日眠れないんです。眠れないと・・・良からぬことばかり考えてしまうんです。駄目な部分にばかり焦点がいくようになってしまいどんどん落ちていきました。負のスパイラルに陥ってしまったのです。ところが、そんな私に「だめならいいじゃない。どんな仕事だってすればいいじゃない。」と言ってくれた妻。そしてそんな最愛の妻との間に生まれた娘。このふたりがいてくれたからこそ、なんとか持ちこたえることが出来ました。

布広 いやぁ・・ここまで来るのに壮絶なストーリーがあったのですね。

塚本 本当に、妻と娘が私の支えになってくれていました。

布広 今現在は、自然体な人間関係が育まれている社風のように見えます。会社にお伺いするとそれを強く感じますし、ホームページを見ても伝わってきます。いい意味で自由奔放というか・・笑 皆さん、自然体で好きなことを語っていますよね。社員さんの名前が「デニーロ」さん、「コペル」さん、いや、日本人じゃないですか(笑)その中で社長が笑顔でいらっしゃる。今に至る空気感はどのように創り上げたのでしょうか?

塚本 落ちるところまで落ちたら次は上がるしかない、と思えるようになったんです。きっかけは、先輩経営者に勧められていったモチベーションを上げる研修。そこでマインドイノベーションが起きたのです。自分は一体何者なのか?自分の強みはなんなのか?といった事と向き合う研修で、その当時は負の部分しか見えていなかったけれど、まだまだ自分にはいいところがあるのかもしれないという思考に切り替わりました。自分がいかに人のせいにしていたかがわかりました。債務を作ったのは父のせい。父が作った債務のせいで自分は今苦しんでいる。と、全部父のせい、人のせいにしていました。私はその研修がきっかけとなり、「いつまでも暗い顔をしていてもしょうがない!」と明るく笑い飛ばせるようになりました。自分を奮い立たせた、プラスの方向にもっていきたいと思えるように・・。ここから自身に「ちょっとプラス」を積み重ねていきました。

布広 相当な方向転換でしたね。

塚本 最初は皆、私の変わりように、「何があったんだ・・・?」とざわついていました。でももうそれ以外に道がなかったんです。ちなみに、決して怪しい研修ではありませんよ。「感謝をしなさい、挨拶をしましょう、時間を守りましょう、靴を揃えましょう・・」そんな当たり前のことを言っているだけのセミナーなんですけど、当時ノイローゼ気味だった私には出来ていないことばかりだったのです。

布広 そういったことを1つ1つ変えていったのですか?

塚本 そうですね。1つ1つ、少しずつではありますが変えていきました。それから次のステップでは、自分の為でなく、社員の為にと研修をしたり、おやつを買ったりとそういう行動もできるようになっていきました。そんな感じで、少しずつ和気あいあいとし、フレンドリーで大家族みたいな会社に、今、なることが出来たのです。自分一人の力なんてちっぽけなもの。周りを大切にしなければいけませんよね。本当、当然のことなのですが。こんな話をしていると、私はすごい暗い人間だったのかのように聞こえてしまうかもしれませんが、もともとは明るい人間だったのですよ。

布広 ということは、社長に就任した頃は、一時的に違う性格になってしまっていたのですかね。

塚本 「べき」に囚われていたんです。社長の後を次ぐ息子はこうあるべき。トップに立つ人間はこうあるべき。こうあらねばならない。そういう感じだったのです。

布広 会社を守るためにお父様に辞めてもらう形で就任した社長の座。社長になったら常に「社長」を演じていなければならなかった。その姿は本来の姿とは程遠いまるでサイボーグのよう・・・それはお辛いですよね。しかし、研修をきっかけに突然人が変わった・・というよりも、変わったかのように見えていたけれど、変わったのではなく、塚本社長本来のお姿に戻っただけだったのですね。

塚本 そうなのかもしれないですね。周りは「気持ちわる~」ってなってましたけどね(笑)

布広 でも自然体になれた。

塚本 はい、そうです。今は面白おかしく楽しく、毎日を生きています。趣味はオヤジギャグとスキー。とにかくスベりまくる日々ですよ。毎日笑い飛ばしています。笑

人生笑って過ごしたほうが良い。人に任せられるところは任せたほうがうまくいく。人を思い通りに動かすなんてことはしないし、することも出来ない。「過去と他人は変えられない」この言葉が私を助けてくれました。

布広 「過去と他人は変えられない」当時の塚本さんにとっては染み渡る言葉だったのですね。

塚本 はい。逆を言えば未来と自分は変えられるということ。どうせなら人からありがとうと言われて毎日笑って過ごせるように変えていこうと思いました。

布広 こうやってちょっとプラスを積み重ねていったのですね。

塚本 急に変えようとしても抵抗心が湧いてしまいますからね。人は思い通りにはならないから自分の思い描いている方向に進むためには自分の一挙手一投足を見られていることを意識し、自分を変えていかなければなりませんでした。人から背中を見られ続けるのはしんどいことですが、私にはでもそれしかありませんでした。

布広 未来を変えるのは自分次第・・。

塚本 じゃぁ自分を変えよう。と思ったところから、ちょっとプラス、ちょっとプラス、ちょっとプラス、ちょっとプラス、で今に至る。これが15年の流れでしょうか。

布広 今後もそのようにして、ちょっとプラスを重ねていって会社のご発展をお考えに?

塚本 潰れない会社、地域に残る会社を目指しています。家を建ててもらった後、建てっぱなしにしたくありません。ずっとお客様の住まいの面倒を見ていきたい。そのためには会社を存続させていかなければなりません。近所のスーパーなどでお客様にお会いしたら「おうちどう~?」「いや~快適ですよ!」「お子さんは?」「いやーうちの娘がね~」そんななんてことない会話を楽しくしたいんです。

布広 常にそういった距離感、温度感を感じながら、「ありがとう」の言い合える距離にいる人達を大切にしていく為にも、会社を発展させなければならないのですね。実際にお施主様、OB客ともそういう近い距離感なんでしょうね?

塚本 大変ありがたい事にかなりフレンドリーですよ。売り手、買い手という関係性ではなく信頼のおける相談相手、といった感じでしょうか?

布広 パートナーシップが出来上がっている感じがしますね。

塚本 ですからMUSBUさんと理念が同じですね。

布広 わぁ、今言おうと思ったのですが取られてしまいました!笑

塚本 あはは(笑)横取りしちゃいましたね。笑 布広さんのお考えと私の考えはすごく近いなと思いました。

布広 きちんと私の想いはお伝えできていなかったつもりですが、そこまで感じていてくださっていたなんて、恐れ入ります。

塚本 そういう想いというのは毛穴からでてくるんです。オーラというか、エネルギーが毛穴からでているんです!笑 私がプラスのオーラを出せば、まわりがみんなプラスになって明るい人ばかりになりました。辛く苦しい時代があったからこそ今、最高の状態で最高の仲間と良い家づくりが出来ています。社長になる前から思っていた、自分が社長になったら、もっとじっくりお客様のペースで家づくりがしたい。しっかりしたいい家をつくって、お客様に心から喜んでもらえる家づくりがしたい。「あなたにつくってもらえてよかった。幸せだ。」と言ってもらえる家づくりがしたい。これらのことも実現できました。弊社のお客様も大変明るく素敵なお客様ばかり。OBのお客様からご紹介をいただくことも多く、大変うれしい限りですよ。

布広 ご紹介をいただけるということは、それだけご満足いただけて、信頼のおける仕事をされている何よりの証拠ですよね。今日は、塚本社長のお人柄をたくさん感じることができました。最後には私の想いに共感のお言葉まで頂戴しまして、本当にありがとうございます。

塚本 これからもお互いにいい関係性でいたいですね。そしてお客様を幸せにする仕事をしていきたいですね。

布広 そうですね。ありがとうございます。今後共どうぞよろしくお願いします。

塚本 ありがとうございました。

対談後記

「ちょっとプラスの家づくり」をスタンスに、1棟に1人の専任女性プロデューサーが就くイネスホーム。

ニッチや収納・内観デザインなど、あらゆる部分に女性プロデューサーの目が行き届いたこれまでの施工実例には、それぞれにそのコンセプトを想起させるネーミングが施されている。

同社のホームページでその実例の数々を垣間見、期待に胸膨らませてモデルハウス見学に行けばリアルの「ちょっとプラス」が体感でき、新築申込みの果てには自分たち家族専任の女性プロデューサーがプランを施してくれる。「女性目線の家づくり」で、実に一貫性のある「家づくりバリューチェーン」を展開している同社。

しかしながら現在の形に至るまでの道程には、想定以上のご苦労話がございました。そんな背景を惜しげもなく、この場で赤裸々に語って頂いた塚本社長に対しては、一種尊敬の念を抱きました。

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