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注目のヒト


100年間お客様に愛され、認められ、
発展し続けてきた SUDOホームの想いの核

SUDOホーム札幌支店長 須藤隆様

札幌市近郊/伊達市/倶知安町

布広 改めまして、100周年おめでとうございます。

須藤様(以下・須藤) ありがとうございます。SUDOホームの初代である私の曽祖父は山形県から北海道豊浦へ渡ってきた宮大工。地元の神社仏閣で自慢の腕を振るい、地域に根付いた建設会社を構えました。これがSUDOホームの家づくりの原点となります。北海道では0からのスタートではありましたが、少しずつ実績を積み重ね、地域の皆様の信頼を得ていったと聞いています。二代目は豊浦町を拠点に総合建築業として、公共事業やビル建設などの大きな仕事を手がけるまで成長を遂げます。

布広 しばらくは豊浦町でのありとあらゆる仕事を請けられていたのですね。豊浦ではSUDOホーム(須藤建設)さんが手がけられた公共施設や建物のシェアが大分高いのでは?

須藤 そうですね豊浦は多いと思います。それから伊達市へと事業エリアを拡大していくのですが、やはり新しい地域へ進出するのには「実績」と「信頼感」が必要で、当初はなかなか苦労をしたようですね。

布広 それからSUDOホームとして住宅事業を展開するのは、1985年からになるのですか?

須藤 そうです。当時、豊浦町での仕事は公共事業がメインでしたが、私の父の兄が三代目を務め、この代で住宅部門が開設されました。住宅部門は私の父が担当し、二代目からの流れである公共事業、大型建築で培ったRC(鉄筋コンクリート)のノウハウを用いたRC住宅に取り組み始めました。その後室蘭工業大学名誉教授・新住協代表理事の鎌田氏の協力の元、また、初代宮大工の技術を受け継いできた棟梁の弟子たちの技術を掛け合わせることで、高品質な木造住宅の実現に成功しました。

布広 そうしますと、隆さま(札幌支店長)のお父様たちご兄弟は皆さんが建築に関わり、それぞれの得意分野を役割分担されるような形でご活躍されていたのですね。当時は、(現代からは考えられないが)時代的に「仕事はオトコ」の昭和型社会だったわけですが、三兄弟がみな男性だったという状況も、結果的には事業継承および事業発展のポイントとなったのでしょうかね?

須藤 それはあると思います。父の兄(社長)が公共事業で須藤建設としての方向性を示し、次男である父はSUDOホームとしての住宅部門を任され、三男は大手建設会社さんからお声がかかり、関東進出の基盤を作りましたので、男ばかりの三兄弟だったことは須藤建設にとって良い結果をもたらすポイントだったのだと思います。

布広 千葉進出の際も初代、曽祖父様の時と同様に、仕事の実績が認められてお声がかかったのですね。須藤建設さん、及びSUDOホームさんは実績が周りや社会に認められて事業が拡大されていくのですね。

須藤 はい。ただ、当時は、千葉での仕事は下請けがメインだったのですが、千葉に進出したと共にバブルがはじけてしまい、仕事は激減。とても大変だったようです。ここで千葉支店は脱下請けを目指すようになり、2003年、千葉に新しく事務所を構え本格的に注文住宅事業へ移行しました。

布広 1918年から今日までで、建築実績は一体、どのくらいになるのでしょうか?

須藤 公共事業も入れてしまうと数え切れないほどになるのですが、注文住宅のみで数えますと約600棟。札幌では最近ちょうど100棟目の住宅が竣工したところです。

布広 100周年で札幌エリア100棟。大変おめでたいですね。次にSUDOホーム100年の歴史の中で、隆さまご自身の歩みをお教えいただけますでしょうか?

須藤 私は小中学校を伊達市で過ごしました。父は私に対し「大学には必ず行ってもらいたい」という気持ちと、「親元を離れて色々なことを学んでほしい」という考えを持っていたので、高校進学とともに札幌に出ることになりました。私自身はというと、高校生当時はSUDOホームへの入社をそこまで意識していませんでした。その為、建築科ではなく土木科へ進学したのです。しかし、入学当時は無意識だったのですが、今思えばやはり徐々にSUDOホームを意識するようになっていたのだと思います。SUDOホームには建築の資格を持っている人は沢山いるのでどう頑張っても先に働いている人たちを追い抜くには時間がかかってしまう。それならば別の分野でスペシャリストになろうという気持ちを間違いなく持っていましたから。建物を建てるには土地の問題がつきもの。うちの会社には建築のプロはいるけれど土地のプロはいないし、土木科、ちょうどいいじゃないかと、土地のスペシャリストになる為に努力していたことを思い出します。大学卒業後は東京で大手不動産仲介会社への入社が決まりました。

布広 それでは高校入学後から大学生の時点ではこの業界というか、会社を何らかの形で関わることになるだろうと意識されていたのですね。

須藤 そうですね。いずれ、という意識はあったでしょう。東京へ出てまずは3年、入社した会社で頑張ろう、とは思っていましたが。東京に行ったからこそ、いずれは北海道に戻りたい、という北海道への想いも強くなりましたし。

布広 100周年、隆さまの中での苦労話はありますか?

須藤 東京の不動産仲介会社を退職後は北海道に戻ったのですがすぐにこの会社に入ったわけではありません。退職金握りしめ1か月間アメリカにいってみたり、その後も半年間ほどあてもない生活を過ごしたりして、「自分探し」をしていたのですが、これと言って何か見つかるわけではなくただただ日が流れていく毎日。帰国後、父からの「今後どうするんだ?」という質問を受け、SUDOホーム(須藤建設)への入社を決めました。それがSUDOホームが千葉で注文住宅事業を本格化した2004年のこと。大学卒業後3年東京にいたこともあり、私の最初の勤務は東関東支店(千葉市)からのスタートとなりました。それからちょうど1年後、地元伊達市で、地元企業5社がJV(共同企業体 -企業が共同で事業を行う組織-)を組んで8,000坪の宅地開発が行われるという話が出てきました。それには専任の宅地建物取引士の資格を持った人間が必要だとのことで私に声がかかり、26歳の時に千葉から伊達市に戻ることになりました。

布広 流れがすごいですね。土地のスペシャリストになろうと決めたあの時の決断がこの流れを作ったのですね。

須藤 そうなのです。最初は「あの副社長(父)の息子が帰ってくるぞ!一体どんなやつだ!」と話題になっていたようです(笑)

布広 お父様が副社長を務めていらっしゃると、息子である隆さまにはやはり、注目が集まりますよね。やはりそれは大変だったのですか?

須藤 いえ、「父の為にも頑張るぞ」という気持ちもありましたし、反面、「親父とは違うんだぞ!」という気持ちもあり、自分は自分だと、特にプレッシャーに感じることもありませんでした。私の仕事は地元企業5社での共同企業体の中で中立の立場を貫かなければならなかったので、常に気を張っていたことは確かです。とても刺激の強い日々でいろいろな考え方の転機になりました。

SUDOホーム札幌進出

布広 札幌進出はどのように進んだのでしょうか?

須藤 札幌での仕事はガソリンスタンドの建設や店舗改修など、初めは住宅以外から始まりましたが年に1棟、2棟と少しずつ棟数が増えていきました。2006年に札幌へ進出し、2011年位から札幌での住宅建築が盛んになり、2013年に今の事務所を構えました。

布広 札幌進出に勝算はあったのでしょうか?

須藤 もちろんです!!伊達市での実績も千葉県での実績もありましたし、明らかにハウスメーカーさんが建てる家とは違う家でしたので自信がありました。SUDOホームの家の雰囲気が好きな人はどこのエリアにも必ずいらっしゃいます。ただ、札幌進出で苦労した点ももちろんあります。札幌の人に受け入れてもらえたのは良かったのですが、SUDOホームの家はそのこだわりが強いが故に「誰でも作れる家」でなかった、という点で大変苦労しました。SUDOホーム最大の特徴である塗り壁は誰でも作れるわけではありませんからね。「ただ塗り壁を塗ること」は誰でもできるかもしれない。しかし、年が経ってもクラック(ヒビ)が入らないようにすることは決して簡単なことではありません。SUDOホームはサッシ(窓)の隅からのクラックを防止するためにボードの貼り方を工夫しているんです。建築時だけでなくアフターメンテナンス時にもその技術が必要になるわけでして、札幌で信頼できる業者が見つかるまでは伊達市から職人を呼んで作業をしています。

布広 そこはSUDOホームさんの家づくりで譲れないポイントなのですね。伊達市から札幌まで職人さんたちを呼んで家づくりを行うとなると・・・。利益率はあまりよくないのではないでしょうか・・・?

須藤 そうなのです。利益率が低くなってしまうのも覚悟の上。しかし、それでも私達にとっては譲れないポイントだったのです。

布広 伊達市から札幌に進出し、感じた札幌マーケットの特徴はなにかありますか?SUDOホームとして変えられないものと、変えなければならなかったもの合わさなければならなかったものなどがあれば教えてください。

須藤 そうですね、一番はプランでしょうか。伊達市は比較的雪が少ない地域なのですが、そこと比べるとやはり、札幌は雪が多い。その点で札幌では冬の住まい方だったり、カーポートの必要性だったり、屋根の形状だったり、雪庇、耐雪場を考え「冬をいかに快適に過ごせるか」を考えた家づくりが大切だと感じました。

布広 なるほど、伊達市と札幌市では気候が大きく異なる、すると要望される住まいの形も変わってくるわけですね。

須藤 そうなのです。地元の業者さんからは最初、「須藤さんそんな札幌なんていう巨大マーケットに挑戦して、どうせ数年で戻ってくるでしょう」なんて言われていましたけれど。

布広 それでもSUDOホームさんの家はどの場所に行っても気に入ってもらえる自信があった・・と。

須藤 はい、そうです。

SUDOホームのブレない家づくり

布広 どこでその自信が生まれたのでしょうか?

須藤 この雰囲気の家をブレずにつくり続けるという事、これは簡単そうに見えてとても難しい事です。私達はそれをずっとやってきていますので距離が遠くて行けない場所であっても、どの地域でもお客様に気に入っていただける家づくりが可能だと自信を持っています。ずっとやれているということは、ずっとお客様からのニーズがある雰囲気なのですから。

布広 「ブレない家の雰囲気」と、先程の話にでてきた伊達市と札幌で異なるという「環境やお客様に合わせてつくるプラン」。100年もの間、変化にうまく対応してきた、その柔軟性が、今のSUDOホームさんを作ったのですね。

須藤 今のSUDOホームの家づくりが出来るようになるまでに、輸入住宅をやってみたり、今は新在来工法ですが2×4をやってみたり…と、様々な家づくりを行ってきましたが平成18年ごろからは今と同じような雰囲気の家、一本になりました。このモデルハウスは2018年で建築して3年で、伊達市のモデルハウスは8年になりますが、伊達市の方では8年経った今でも「このモデルハウスが欲しい」と言ってくださる方が何人もいらっしゃいます。本当に良いもの、良いデザインというのは、何年経っていても良いものなのです。建具はオリジナル、床は無垢材、壁は塗り壁、これはだれでも作れる家ではなく、SUDOホームにしか作れない家、ハウスメーカーにはできない家なのです。ここにたどり着くまでにはいろいろな挑戦、たくさんの失敗がありました。その積み重ねで今のSUDOホームがあります。私達自信、変わったつもりはないのですが、総合的にうまく変化してきたといえばそうなのかもしれません。

布広 今のSUDOホームさんからしたら当然の事かもしれないのですが、それでも100年続くということはきっとそうなのだと思いますよ。初代、二代目、三代目、そして四代目、五代目と100年続くSUDOホームさんの強みが気になります。「血」っていわれたらそうかもしれないのですが。笑

須藤 やはり攻めの姿勢ではないでしょうか?千葉進出も、今年(2018年)開設するニセコ支店の話もそうですし、どんどん攻めている、その姿勢。ものが売れない世の中になり、支店を出すほどなの??と思われる中で、また、地元にいる信頼できる業者さんたちを全員連れていけるわけではないのに攻めているのは、SUDOホームならではの攻めの形。SUDOホームならではの強みだと思います。立ち止まっていては何も始まらないし、成長を生むことなどないと思いますから。

布広 そう思うと曽祖父様も、仕事の依頼があったとはいえ山形から海を渡り、北海道へと・・。攻めていますよね。

須藤 その時代から・・そうですね(笑)。お客様からお仕事をいただき、実績を重ね、信頼をいただいてきた100年。勢いのある新しい建築会社を選ぶのもいいかもしれませんが、100年の歴史の信頼は誰でも作れるものではありません。家は作って終わりではなく必ずアフターメンテナンスも必要となってきますので、そうすると、100年続いている会社だというのはお客様の今後のことを考えても安心していただけるポイントになると思います。100年の歴史ある会社ですが、新しい若い会社に負けないくらいの勢いも持ち合わせていますしね。

布広 そうですよね。歴史は簡単に作れない、塗り替えられるものではないからこそ、須藤建設さん、及びSUDOホームさんの大きな強みですよね。先代から明確に言われている教えなどはありますか。

須藤 先代が書いたコラムの中に「今須藤があるのは私達に力を貸してくれた素晴らしい人々のお陰、真面目に一生懸命仕事をすることを評価されたと思う、お前たちもこの教訓を忘れるな」という言葉と、「工事は苦労して完成したが、採算面では赤字だった。だが投資という面では施工経験が出来、成果・実績も残せ、現在の須藤の礎となる授業料だった。このような経営判断のターニングポイントが必ずある。その時を逃すな!」という言葉が残されています。今回のニセコ支店を出す、ということは、この教訓が元となっているのです。これらの言葉は経営の話になりますが、SUDOホームの住宅に関して言えばこの建築業界、住宅に関するものだけでも毎年毎年新しいものが出るけども、SUDOホームのコンセプトを守り続けること、SUDOホームの標準仕様を・・

布広 「どこにも真似できないように、壁一つ、建具一つに対してこだわりを持ち続けている」・・・ということでしょうか?

須藤 いや、実は、真似はしようと思えば出来てしまうのです。しかし、この一定の品質を作り続けるというのは大変なこと。例えば、どこの工務店さんも本当につくりたいコンセプトの住宅があるものの、ちょっと安価な規格住宅も用意していて、お客様の予算が合わなかった場合はその規格住宅を案内することが多いのですが、それをやってしまうと規格住宅ばかりになってしまう。そうすると、工務店として本当につくりたい家がなかなかつくれなくなってしまうのですよね。もちろん弊社でも、予算が合わないお客様に対して「そういう(価格対応が可能な)規格住宅があったらな」と思うことはあります。ですが、それを作らずにこういうこだわりの家づくりだけ続けてくることは、なかなか出来ないことだと思います。

布広 「規格住宅を作ってしまったらSUDOホームとしてつくりたい家が出来なくなってしまう。だからSUDOホームらしい家が減っていってしまう」ということは、どこで気づき、今の軸となっているのでしょう?

須藤 父からの教えが半分、あとは「いろいろな会社を見てきたけれどやっぱりSUDOさんがいい」と言ってくれるお客様がいると、やっぱり自信になりますね。間違っていなかったと。

布広 ブレないポリシー・ブレない部分がなぜ出来上がっていったのか、ということにすごく興味があります。やはり経営を考えると規格住宅も取り入れて行きがちなところを、ポリシーを大事に経営されていらっしゃるSUDOホームさん。「SUDOホームはこれでいいのだ!」と言い切れるスタンス。どんな経緯でそれが組織に身につかれたのかなと、とても気になります。

須藤 本当に弊社の家は良いですからね。それが答えです。どの家を見ても「(私自身)自分も住みたい!」と言える家ばかり。建つたびに、「今回もイイ家になったな」と心から思える、その気持ちが自信になっています。お客様はもちろんのこと、私達自身も「本当に良い家ができた!」と心から思える家をつくり続けていきたいのです。お客様にしてみたら大切なご予算があって、月々7万、8万の返済がある。例えば総額が100万200万安くなれば、その安くなった分で車が買えてしまう、それほど家づくりには大きな出費が伴います。なかなか生活レベルを下げてまで、家に費やすことは出来ません。そのあたりのことはわかった上で、私はわたしの本音で本当の気持ちを伝えます。だめならしょうがないのです。お客様には、本当に良い家をご提案したいから・・・。同業者の集まりでこの話をしたら「SUDOホームさんって効率悪すぎますよね」と、と某社の営業担当者様に言われてしまいました(笑)。「うちは2~3回の打ち合わせで契約をとりますよ」と。しかし私は「2、3回で契約につなげること」「効率を上げること」だけが、必ずしも良いことだとは思わないのです。弊社は年間100棟の家を建てたいわけではないので、多少効率が悪くたって構いません。20回でも30回でも打ち合わせをします。全てはお客様も私達も心から「良い」と思える家をつくる為です。そしてまた、うちが目指したいのは棟数とか業績とか、成績のことばかりとかじゃないですからね。先日も中途採用でご応募いただいた方との面接の際に、「SUDOホームの家が大好きです!だから年間なん十棟も売る自信があります!」なんて言われたことがありました。多くの会社だったら「やる気があっていいな~」となるのかも知れませんが、うちの場合だと「ちょっと違うんだよな~」となってしまうのですよね(苦笑)。

布広 そういう意味では札幌に進出されて、新卒採用にはかなり神経使うのではないですか?SUDOホームさんのポリシーをわかってもらい、SUDOカラーに育てていく、というのは。

須藤 そうですね。今年も新入社員が入りますし、インターンの受け入れだったりハローワークに求人をだしてみたり合同説明会に参加したり、様々な方法で募集をかけています。先日は、「学生が選んだ6社」というコンセプトの合同説明会に行ってきました。業界の最大手企業が並ぶ中で「売上うんぬんの話」や「会社規模」の話ではなく、SUDOホームとして大切にしていることや想いを学生の皆さんにお伝えしてまいりました。100人募集するわけではなく、1人でもいいからSUDOホームの考えに共感してくれる人が来てくれたらいい、そんなスタンスで採用活動を行っています。

布広 ところで、この業界の課題は何だと思われますか?

須藤 やっぱり職人さん不足ですかね。塗り壁屋さんの後継者ができないと、SUDOホームのいい家も提供できなくなってしまいます。塗り壁屋さんだけではありません。大工さんも左官屋さんも少なくなってきています。先程も申し上げましたように、SUDOホームの塗り壁は、テクニックがあってひび割れがしないようになっています。大工さんがひと手間かけることによって、住んでからひび割れない塗り壁が出来ています。建てる側の効率ではなく、住む人側の気持ちに立って試行錯誤したからこそ、このような家づくりが出来るようになりました。これがSUDOクオリティで、ほかではなかなか出来ない家づくりの一例と、自負しています。これは職人さんあっての話ですから業界全体の職人さん不足はSUDOホームにとっても深刻な問題ですね。時代は「無駄を考えたら辞めろ」という流れもありますが、SUDOホームではその無駄、その一手間は決して無駄にならないのです。次に繋がる大切な一歩となるのです。

布広 そのSUDOホームさんの考えはやっぱり曽祖父様の宮大工から始まっているということがあるのでしょうか?

須藤 曽祖父の時代から職人さんがいないと仕事が出来ないからと、職人さんを凄く大切にしていたという話がありますので、それもあるかもしれませんね。

布広 多少変化しているのはあるかもしれませんが、そのポリシーが100年続いているということ、家づくりへのアツい気持ち、普通はどこかのタイミングで忘れてしまうことがあってもおかしくないと思うんです。しかしSUDOホームさんの場合は業態が変わって事業も拡大しているのに、根本的な思いが100年間変わらない、というのがとても魅力的な会社さんですよね。それも明確に「こうしなさい!」という先代からの強い教えがあったわけでもなく、自然に自然に受け継がれてきているというのが本当に驚きです。

須藤 先代からの強い教えがなくとも、想いや考えを聞いて理解し、やらないわけにはいかないじゃないですか。当たり前のことなのですから。

布広 いやそれが、「当たり前」とは捉えられない人もいるわけですよ。代が変わった時など、よく方針が変わってしまいがちな所ですが、SUDOホームさんは、それがない。代々変わらぬ想いが自然と受け継がれてきている、それはSUDOホームさんの大きな魅力だと思います。

須藤 それは私達がつくっているものが人が住む為の家だからじゃないでしょうか。お客様のことを思って建てると、それはいつの時代も変わらないものになるのかもしれません。

布広 本当にSUDOホームさんはお客様と距離が近くて愛情を感じますよね。

須藤 ありがとうございます。SUDOホームのお客様には家を「買う」という意識ではなく、家を「創る」という意識でいていただけるように、家づくりを行っています。腕のある職人さん、大工さんがいないと作れないSUDOホームの家。そしてその家の雰囲気を気に入ってくれるお客様。お客様、職人さんあってのSUDOホームです。現在30代の大工棟梁が3人いるので、大工の世代交代が1度出来ているのですが、やはり業界全体での職人不足は深刻です。

布広 業界全体で変わろうとしていかなければいけませんね。101年目からのSUDOホームさん・須藤建設さんはどのようなご発展を?

須藤 経済状況はこれからも多様に変化していくことでしょう。その中で引き続き新しい仕事をさせていただき、既存のお客様のアフターメンテナンスをしていく為には、会社を残す努力を継続しなければなりません。100年経ち、ここからもう100年続くためには目先の仕事に追われているのではなく、業界の人材不足、教育、そこに真剣に取り組んでいかないといけないと考えています。101年目になって、今話題の「働き方改革」ではないですが、「全社員祝日休み「大工の社員化」この2つをまず、実践していこうと準備・検討を進めています。祝日休みのシステムは業界的にも取り組みにくいかもしれませんが祝日は大工も現場も社員も全部休みにしようと試みています。祝日に打ち合わせができなくなる点や1日休むことで工期が遅れてしまう問題など、ロスは大きくなるかもしれません。ですが、働きやすい環境づくりの為に取り組んでいきたいと考えています。また、大工の社員化は、現在弊社の大工さんは須藤建設の子会社で雇用しているのですが、SUDOホームにとっても大工さんはとても大切な存在。須藤建設の大工部門として雇用し、大工さんが安心して働ける環境を整えるべきだと考え、101年目から取り組んでいきたいと準備を進めています。そして今後は1人でも2人でも新しく雇用し、成長する大工集団の育成を行っていきたいと考えています。それがSUDOホームがもう100年続いて行くための新しい1歩になると信じています。

布広 やはり「時代の変化にうまく対応していく」のですね。その都度その都度時代にあったテーマを設けてそれに対し取り組みを進めていらっしゃるSUDOホームさん。国内経済が縮小されていくこの時代ではありますが、SUDOホームさんの家づくり、考え、想いを具体的な形にし、次の世代の社員さん、お客様、職人さんたちにしっかり残していってほしいです。本日は貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。

須藤 こちらこそ、ありがとうございました。

対談後記

2018年で創業100周年を数えた須藤建設。

長い歴史を歩み、人が増え、代を重ねて伊達・千葉・札幌・ニセコと営業エリアを拡大展開しながらも、時代の流行り廃りに左右されない住宅を提供し続けている原動力はどこにあるのか。企業としてのコアコンピタンス(組織の強みの核みたいなもの)が、全体像として理解できたような気がします。

100年経っても「変わらずに」コアを磨き続ける一方、101年目以降の更なる発展を見据えて「従業員一斉祝日休日化」「大工の社員化」など、働き方改革にも着手していく柔軟性。SUDOホームの従業員が、ますます能力を発揮しやすい環境の中で活き活きと家づくりに携わり、巡り巡って新築をオーダーした施主さんご家族の幸せが増えていく好循環。

須藤建設の打ち手や企業改革からは、今後も目が離せない。

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