リーダーとしての「ことば」と視野視界と
ここしばらく、大阪の吉村府知事から目が離せない。
コロナ禍における府対策と国との狭間における、
国政に対する歯に衣着せぬ物言いや、国のフットワークの重さに対する指摘の舌鋒の鋭さは、痛快さの極みだ。
そして、昨日5月4日の某報道番組にて言及された緊急事態宣言の大阪府独自の出口戦略、いわゆる「大阪モデル」に関する発言には、ある意味で感銘を受けた。
大きくとらえると、ポイントは2つあると思う。
1つは、その伝え方にある。
見事に「自分のことば」になっているのだ。
「大阪モデル」なる出口戦略の根拠の1つとして、「経済も命である」と表現。
これは、感染症の専門家会議をベースとした国の緊急事態宣言の延長判断が、ここまでの総括の不足や経済側面の専門家視点の欠如を指摘したくだりの中で出てきた表現だ。
事前に準備されたシナリオをただ流暢に、ひたすらスマートに「発表する」のとは質が違う。
そんなものは、司会やタレントに任せておけばいい。
吉村氏の「ことば」には温度を感じるし、リーダーとしての気迫が伴っている。
だから「伝わってくる」のだ。
もう1つは、率直に感じたままを言うなら、頭の良い人だな、と。
もしくは、バランス感覚の良い人だな、と。
恐らくそもそも、緊急・重要度のマトリックスフレームが、そうとう初期の段階から思考の中に準備されていたのではないだろうか。
事ここに至っては、中小零細企業における財務状況は待ったなし。
そして何をもって「待ったなし」なのかというと、吉村知事曰く「命を伴う」レベル。
つまり「あってはならない事ではある」ものの、財務的にひっ迫した中小零細企業の経営者はじめ、社会的責任を伴った方々の命に及ぶ可能性についてを、これまでの歴史的トピックスや数字的論拠をもとにして言及。
まったくもって共感できるし、明確な論拠が下地に存在するので説得力が違う。
緊急事態宣言発信当初は、ウィルスの感染拡大防止そのものが緊急度・重要度共に高かった。
しかしながら宣言発信から1カ月経過した現在においては、経済活動自粛に伴う中小零細企業の財務状態も、もはや緊急度がのっぴきならない事態になってきている。
「経済も大事」であることは誰もが当初から謳ってきていた。
いわゆる重要度が高いこと、はわかっていたということだ。
しかしながら、緊急度もいずれは高まってくるということについては、想定をどれだけしてきていたかによって、判断が異なってくるはずだ。
つまり吉村知事の場合は、当初よりこのフレーム内での想定がなされていたのではないか、と推察される。
緊急度も重要度も高い物事には、誰もが反応する。できる。
リーダーとは未来を創るために、率先して人々を引っ張っていく存在。
求められるのは、まだ緊急度がそう高くはない段階において、重要度の高い物事に着目し、いざというときのために準備を整えておける事なのではないだろうか。