迷ったときは、基本にかえる
2020オリンピックYEARも始まりましたね。
随分と遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
この年末年始休暇は、久し振りに少しまとまったお休みを頂くことができました。
休暇中には好きな音楽を聴いたり、
買ったはいいけど頁を開いていなかった本を読んだり、
劇場には行けなかったけど観たかった映画をまとめて観たり。
さまざま感動や感銘、刺激を受けたわけですが、
まったく別々のジャンル、ひと、シーンから、
「自分は〇〇である」的な、
生きざまというか覚悟みたいなコメントを耳にしたときは、
ハッとさせられましたね。
映画「ボヘミアンラプソディ」の中の1シーン。
クィーンとして成功を納め、音楽業界でのステイタスを確実なものとしつつあった時、
フレディ・マーキュリーはグループを離れ、ソロ・アーティストとしてのレコード会社契約を独断で決めます。
大型の契約金とソロ活動という「自由」を手にするフレディですが、クィーンのバンドメンバーは当然去っていきます。
たった1人で(大型の契約通りに)作品を生み出さなければならないプレッシャーの中、酒やドラッグに溺れ、恋人も離れていく一方で自分の取り巻きはイエスマンだらけ。
乱れたソロライフは充実感とは程遠く、虚無感だらけ。
そこから脱するべく、クィーンのバンドメンバーに頭を下げ、何とかバンド再結成の目処をつけ再浮上の兆しを掴むフレディですが、彼を待ち受けていたのはHIV感染という運命。
あの当時のHIVと言えば、罹患したが最後。
対処法が確立されていないばかりか、社会からは偏見の眼差しにさらされるばかり。
再結成したばかりのメンバーに対し、フレディは覚悟を持って告白する。
「自分はHIVになった」
「(友として)特別な感情はもたないでくれ」
「(しかしながら)残された時間は少ない」
と。
頷くメンバーだが、とは言え、誰となく
「平気か?(大丈夫か?)」
といった、何とも言えない感情が表れてくる。
その時のフレディのセリフ。
「俺はパフォーマー(として生まれ生きていくの)だから」
ここ。
何故かこのセリフ。
数ある感動的シーンの中、なぜかこのシーンが強烈に印象に残っているのです。
自分は何者なのか。
人間としてのアイデンティティーは何なのか。
この世における役目役割は何なのか。
これらを(既に)悟り、覚悟を決めたフレディからは、
清々しさすら感じます。
…仕事も勉強もスポーツも、人間関係もそう。
迷い道に入ってしまったとしたら、最初に戻ればいい。
スタートラインに戻り、基本に立ち返り、イチからやり直してみる。
つい先日も、仕事関係で似たような問いを受けましたが、
結局はそんなアドバイスをさせて頂いた気がします。
新しい年のスタートは、ちょっと初心に戻る気持ちを持たせてもらえたのかも知れませんね。
本年も、よろしくお願い申し上げます。